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「コシヒカリ」誕生秘話

 

奇跡のお米「コシヒカリ」誕生。

奇跡のお米「コシヒカリ」誕生。
 
こしひかりのふるさと福井
  「コシヒカリ」はホウセンワセと同じ組み合わせから育成した品種で、10日余り遅い早生に注目して選抜してきました。しかし、稈が長くて倒れやすいうえに、いもち病に弱く、とても量産性に向いた品種ではありませんでした。
  そういった欠点をもちながらどうして「コシヒカリ」は今日の様な普及の歩みを辿ることができたのでしょうか。ここで「コシヒカリ」にまつわる幾つか奇跡にも似た、誕生までのエピソードをご紹介したいと思います。
 
♢♦秘話♦♢
  
 昭和19年に農林22号を母、農林1号を父として交配され、その雑種3代の僅20粒の種子で
選抜がはかられた。 
 
 昭和23628日に直下型の福井地震に襲われ、地割れで噴出する土砂で、致命的な被害
を受けたが、幸い強湿田の稲だけが生き残り、幸運な一歩となった。 
 
 その後、1ヶ月、空梅雨で枯れる稲が出たが、多雨で九頭竜川の堤防が崩れ、あふれた水が
試験場の水田まで押し寄せた。しかし、それが幸いして水の引いた後は水不足にあえいでいた
水田に潤いを与え、秋の豊作をむかえた。  
 
 倒れ易く、いもち病にも弱かったので、捨てようかと迷いながら、米質と熟色の良さに
引かれて、もう一年と検討を続けた。 
 
 福井県において、「コシヒカリ」を奨励品種に採用した昭和47年当時、ホウネンワセは
関西・中京の市場で売れ行き不振となっていた。そのため、食味評価の高い「コシヒカリ」
を取り上げざるをえなかったが、倒れ易く、いもち病に弱い欠点があったので、奨励品種
採用に反対したが、農業団体の強い要請もあり、採用することになった。 
 
 以上のように「コシヒカリ」は、その波乱に富んだ歩みを経て、昭和31年にラッキーな
農林登録番号100番をもらい「越しの国に光り輝く」と願いを込めて「コシヒカリ」と
命名され、今日も全国の消費者に親しまれているのです。
 

農学博士 石墨 慶一郎 ~コシヒカリ生みの親~

農学博士 石墨 慶一郎 ~コシヒカリ生みの親~
 
石墨 慶一郎
【プロフィール】
大正10年7月、丸岡町生まれ。
宇都宮高等農林学校卒。
昭和21年から福井県農業試験場(当時は農事試験場)に勤務。
福井農事改良実験所長、育種課長、場長など歴任し、昭和52年退職。昭和31年コシヒカリの品種育成に中心的な役割を果たした。
平成13年5月6日永眠。
 

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